ルキノ・ヴィスコンティ『家族の肖像』

 30年遅れの映画日誌。
 じっさいは35年以上にもなるか。
 なんとまあ。
 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

1978年12月1日金曜
 ルキノ・ヴィスコンティ『家族の肖像』
 岩波ホール

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 神保町の角の岩波ホールに文化的ステイタスを感じるというオノボリサン感覚にいまだひたっていた。それくらいに京都という地方都市の映画を観る環境は低レベルにあった。
 東京と京都を月に何度も往復するような暮らし。交通手段は主に深夜バスだった。座り心地はいまほどよくない。朝早く八重洲南口の地下で洗顔すると、ここは首都なんだと納得できた。
 東京では一年ほど宿無し状態がつづき……。
 芝居仲間の荻窪のアパートで執筆していると、不良息子の行状を探索にきたオヤジと鉢合わせして、窮地に立たされたことも。
 最初は、荻窪だけでなく、中央線沿線に土地勘が出来ていった。

 いつの間にかたまっていた映画の半券。それらの堆積がそもそもこの絵日記をつくる原材料になった。
 想い出は胸飾りのように磨き上げることもできるし、色褪せたまま捨て置くこともできる。
 たとえば古い本のなかに栞代わりに挟まれていた古い映画のチケット。二度とひらくはずのになかった本のあいだに眠りつづけていた記念品。死滅した記憶が忽然と蘇えってくる場所とはどこなのか。だれしもが必ずそこへと彷徨いこんでいくのだろうか。

 収集家が所有する宇宙についてベンヤミンが何か書いていたはずだ。昔の著作集をめくったが、次のような一行しか見つからなかった。

  記念品は体験の補完物である。そこには自分の過去を死財として記録しておく人間 の暫増する 自己疎外が沈殿している。『セントラル・パーク』116p

 ちょっと違うな。こういう感覚じゃない。近いようで遠い。

 収集品は凍りついた記憶を溶かす。

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