時は逆流し、風に逆らった我らの往く道は

 30年遅れの映画日誌。

 布川徹郎『風ッ喰らい時逆しま』

 1979年9月13日木曜 恵比寿 シネプラザ試写室

 完成作を観るのもすでに何回目か。
 監督布川徹郎、撮影・編集長田勇一。
 78年曲馬館『地獄の天使』  東京京都大阪沖縄旅芝居興行に併走したドキュメンタリー・フィルム。
 チラシの色調が画像にはよく反映されていない。

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 布川の代表作は『バスター・オン・ザ・ボーダー 幻の混民族共和国』になるだろう。ここから豊浦志朗『叛アメリカ史』船戸与一『非合法員』が生まれた。
 わたしが好きなのは最初の作品『沖縄エロス外伝 モトシンカカランヌー』のほうだ。

 竹中労や平岡正明といった怪物の圏内から出発した布川は、船戸与一という別種の怪物を誕生させる触媒となった――といえる。ドキュメンタリーに関する嗅覚では一流のものがあった。

 この作品にたいする不満を説得力あるかたちで展開できた者はおそらくだれ一人いなかったに違いない。『風ッ喰らい時逆しま』がこうむった不公平は作者としては受け入れがたかったろう。「解体」状況にあった曲馬館のなかで非難が布川個人に集中してしまった事実はたしかにあった。その意味では、布川と曲馬館の関係は最終的に名状しがたい「不幸」を結実させて終わった。しかしあの時期、「不幸」でない関係などあったろうか、とも思う。

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 芝居の記憶は残っているが、それは不定形な混沌にすぎない。かたちとして残っているのは、写真とかフィルムとかレコード盤とかだ。『風ッ喰らい時逆しま』は決して芝居に従属した記録映画ではないけれど、他ならぬ作品の自立性を問われたときその弱さを露呈した。しかしその脆弱さとは、曲馬館という集団に深く内在していることがやがて了解されてきた。 
 この作品にたいする不満を説得力あるかたちで展開できた者は集団のなかで一人もいなかった。
『風ッ喰らい時逆しま』がこうむった、こうした不公平は作者としては受け入れがたかったろう。集団の重力が衰える時、その成員のエネルギーはマイナス・ポイントの点検に向かう。マイナスはたいていは個人の傾向に表われるものとして認識される。この時期、集団によって批判の対象として選ばれた個人(集団の成員)は少なくない。

 

 

 

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