30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。日付けの上では82年に突入する。
1982年6月14日月曜 晴れ
アンジェイ・ワイダ『鉄の男』
有楽町
これはワイダの映画じゃない、という不当な感想が湧いてくる。
ポーランド情勢の緊迫、反体制労働運動のつかの間の勝利。映画は同時代のすぐれたドキュメントたりえた。そしてここには『大理石の男』のテーマの見事な発展がある。
にもかかわらず、作品のトーンにある楽天的な一面性がどうにも物足らなかった。結局、ワイダをペシミスティックな「悲劇の作家」と確定したい当方の身勝手な想いに引きずられる。
ミハウェックは、ワイダの世界が外国人には理解しにくいローカルな限定性を持つことを強調している。それはポーランドがたどってきた歴史の特殊性の故だ。
最も高名な『地下水道』や『灰とダイヤモンド』にしても、その特殊さがどれだけ了解されたかを考えてみれば、ミハウェックの見解も妥当だろう。
にもかかわらず『鉄の男』は全世界の注目を浴びた作品だった。そしてその注目はニュース映画に向けられるような興味本位の質であったかもしれない。『鉄の男』にたいしてカンヌ映画祭が与えたパルムドール賞の名誉は、ちょうど、ごく最近にマイケル・ムーアの『華氏911』が勝ち取った称讃とまったく同様のものだったという気がする。
社会主義国家の自浄性という「観念」をまだ信じていた。しかしあまりに楽天的な映画への違和感だけは旺盛に湧いてくるのだった。