30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年3月3日土曜 曇り
フランソワ・トリュフォー『大人は判ってくれない』
高田馬場
この映画を最初に観たのは、自由ヶ丘の映画館で、おやじに連れられてだったという記憶がずっとあった。
ところがこの映画の日本公開は1960年。父親はわたしが八歳のときに廃人化しているので、この記憶は成り立たない。わたしが観ているのは京都においてだったはずだ。わたしは長いあいだ「捏造された記憶」ロストイリュージョンをいだきつづけていたことになる。
プルーストよりラビリンスだな。
憶えていたのは、ジャン=ピエール・レオーがミミズを喰うところと、ラストの少年院に護送されていくシーンだけだった。
父親に連れられて観た映画というと他に『明治天皇と日露大戦争』がある。
けれどもこれも歪曲をこうむった記憶でないとは断言できない。やれやれ。
記憶の淡さは、要するに、現世の縁の薄さにほかならなかったか。