イ・チャンホ『風吹く良き日』

30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話
 1984年10月9日火曜 晴れ
 李長鎬イ・チャンホ『風吹く良き日』
 
 下北沢 鈴なり壱番館

 まさか韓流ドラマがこの日本でここまで大流行するとは、想像もつかなかったけれど。
 流れがついたのは80年代の前半だ。
 とにかくこの映画が口火を切った。

 発見の会によるプロデュースのイベント上映。最初の衝撃はこのようにしてもたらされた。
 血まみれの全斗煥軍政のただなか。自主上映というルートのみが日韓の「文化交流」の手段だった。
 パンフレットに一文を寄せた佐藤重臣の言葉が当時の日韓映画状況を正確に映している。
《韓国映画のことを尋ねられても、私は何にひとつ答えることが出来ない。韓国映画を一本も見ていない、というのもヒドイ話であるが、日本映画が韓国ではほとんど上映されていない、というのも、何んともヒドイ話である》
 と、こんな状況だったのだ。
 主演の安聖基アンソンギはこれがデビュー作だったと思う。武田鉄矢似の芸達者なコメディアンとみえたが、どうしてどうして、韓国のデニーロともいえるスケールの大きな性格俳優に成長していった。
 スラムの残る首都ソウルにうごめく暗い青春の輝き。泥臭いトラジ・コメディに、韓流パワーの源流はたしかに認められるだろう。
 それにしても、少し前の風の旅団の旗挙げにしろ、発見の会の路線転換にしろ、アングラ系と韓国文化ニューウェイヴとの交流がこの時期に目立った。
 

 

 1984年10月が韓国映画上陸の記念日だったわけだ。
 発見の会の西村仁は、李長鎬『暗闇の子供たち』をソウルで観たことが運命的な出会いだったと書いている。
 だが『暗闇の子供たち』は長く韓国国外では上映できなかった。
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 このチラシは1990年の単館ロードショーのもの。

 韓国社会底辺の裏面を描いた作品が解禁されるまでの六年余、多くの韓国映画が上映され、確実に受け止められていった。
 

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