金守珍『夜を賭けて』

ホームページ更新日記 2002.02.20より

 梁石日原作の映画『夜を賭けて』の完成試写を観てきた。

 すばらしいの一言。
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 金守珍(キム・スジン)の演出、朴保(パク・ポウ)の音楽、ともに期待を大きく上回る出来だ。
 これほどのエネルギーにみちた「日本映画」には、最近とんとお目にかかっていない。
 純愛と性と暴力。
 原作世界の基底にある硬質性を変質させることなく、なおかつ映画独自の世界をつくりあげることに成功した金守珍の力量には瞠目させられた。
 正直いって芝居者としてのキャリアはともかく、守珍氏の第一回監督作品には、期待と不安がこもごもするところがあった。不安はみごとに杞憂に終わった。役者たちの表情、目の底に燃えているものを見とどけるだけでも、作品のすばらしさは証明されるだろう。
 現今の日本人の目には、ある種の不透明な残虐さをそのまま映すかのように倦怠を伴った品位のなさが流れているように思える。演技ではこれを消すことができない。極論すれば、どんな日本映画もこの不透明であいまいな膜につつまれた顔ばかりをさらしてきた。「人間」が喪われていたのだ。

 映画『夜を賭けて』は、やすやすとこの障壁をぶち破った。

 居住地日本からも「二つ」の祖国からも打ち捨てられた在日の叫び。
 「どこへ行っても檻だ」
 「逃げるのはもうごめんだ」
 「ここで生きて愛する他に何が選べる」
 いくつかの科白を拾ってくるだけでもテーマは明らかだ。
 しかしこれはテーマ性の勝った演説口調の作品ではない。
 アクションに次ぐアクション。猥雑なエネルギーを解放し、裸にむかれた人間のすがたを見せつける。
 大衆娯楽の基本線に忠実に沿ったといってよい。
 この情念を支えるのは、原作から映画化作品を貫いている志だ。そこには在日の降り重なった歴史の負荷がある。

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 メロドラマの叙情は、作中で使われる「クレメンタインの歌」に凝縮されている。

 本歌はアメリカ西部開拓時代のフォーティーナイナーズの甘い別離の歌、日本では「雪山賛歌」として知られる。
 といっても映画での背景を理解する助けにはまったくならない。
 映画のなかで朝鮮語で歌われるこの歌は、かつての宗主国と植民地では叙情がどれだけ異なった力で人間を縛るかの雄弁な例証となっている。この歌は朝鮮語で歌われる以外の変奏はないかのように迫ってくる。
 歌われる家族離散の状況には、映画が描いた時代である1958年(4.3済州島事件、朝鮮戦争を経て、アメリカの傀儡イ・スンマン独裁に支配される「南」には希望を見いだせず、北の共和国に「地上の天国」をみて帰国運動が高まっていた時期)が投影されている。
 それにとどまらず、その状況はいまだ改変されていないのだ。
 原作に「クレメンタインの歌」をもたらせたのは、金時鐘(キム・シジョン)の詩であり、日本的叙情がいかに呪縛にみちたものであったかを語る詩人の屈折にみちた証言だった。
 在日の志は、この一面からも綿々たる流れをつくって映画を豊かにしているのである。

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