ウソだと言ってよビリー 2005年02月20日
『バトル・オブ・エクソシスト』というオタク本を読んだ。
「悪夢の25年間」ってのは、いくらナンでも言いすぎだろ。
肝心の『エクソシスト』本体にあまり愛着もなかったせいか、楽しめなかった。
フリードキンとピーター・ブラッティ。ダブル・ビリーのエゴの確執じゃ、ちとスケールが小さい。
ディレクターズカットの内幕といってもねえ。
いちばん面白かったのは、試写会でのブラッティの体験談。
ショッキングなシーンでよろよろと退席する女性がいて、ブラッティが「あれ、ポーリーン・ケイルの奴じゃねえだろな」と焦りまくったという話。ケイルは『エクソシスト』について何か書いていたはず。忘れてしまったから仕方がない。
そういえば、ブラッティの『トゥインクル・トゥインクル・キラー・カーン』のビデオについて先日、カルチャースクールの生徒さんに教えてもらった。こっちが教える立場なのにマッタク……。
てなわけで(つながりは何にもないが)ネットサーフィンをしていたら、ブラッティの『エクソシスト』日本語版は恐怖のサイテー翻訳だ、という記事が見つかった。
誤訳の例示もキチンと示されていた。ただし一箇所(!)ね。
面白いので同じ筆者のべつのブックレビューも覗いてみたら、昨今売り出しの新進翻訳家によるさる世界名作の新訳はクソだという記事を発見。なるほど。これもサンプルが一箇所。
件の名作の新訳については、こちらも最近読んだところで、新しい収穫があったと思っていたので、この指摘にはおそれいった。原文で読むに勝るはナシっていうのは正論なんだがね。
さて、この辛口ブックレビュアーの意見に興味をひかれるところ多大で、ホームページも訪問することになった。
すると……。いや、なんというか。玄関口でなにやら猛烈な臭気がするではないか。
論評はさしひかえます。
場所を間違えちゃったよ。わたしはすみやかに退散したのであった。
ひるがえって考えてみると、この人物のブックレビューの個性も切り口も鮮明だし「面白い」ものではあった。
部分的に誤訳が散見されるのは事実だとしても(件の筆者は百箇所以上と保証はしているが)、全体的にみて珍訳か半創作かは、やはり主観に属する。
つまり評価する主体の識見次第ということですな。
わたしはこの人物のホームページを瞥見して、クソはこの人物のほうだと思った。
さようなら、諸君。
誤訳の指摘というレベルのみならその意見を参考にできるが、その他はすべて黙殺するにしくはない。
もちろんこの文章は批判としてのルールは踏んでいないわけだから、筆者の名指しはしないでおく。
てなわけでネットの海にかぎりなく広大に泳ぎだしていったら、またまた無駄な時間を喰っちまったというお粗末。
これって溺れてるようなもんか?
『エクソシスト』の祟りだとしてもなんとチャッチイ。