タイトルすら憶えていなかったが、どこかでゲットできそうだという予感に引きずられた。
捜したが、ない。
Lime Wire で検索をかけると、漢字でなく meiko kaji で、タランティーノ効果なんだろう、『さそり』の「怨み節」と『修羅雪姫』のテーマ。この二つばっかりぞろぞろと出てくる。
悪いけれど、コミック原作を映画化したヒット・シリーズは、『さそり』も『修羅雪姫』も、主題歌ふくめてすべてつまらない。
梶芽衣子の様式だけしかそこにはない。このシリーズのみで梶芽衣子の魅力を語るなんてのは言語道断だ。
せめて『銀蝶渡り鳥』シリーズくらいは知っておいてくれよ。
さらにしつこくサーチしていくと、『野良猫ロック』シリーズへの熱い想いを語っているサイトを見つけて。
CDが出ていることも知る。
いや、これは凄いやと思って購入したのだが。外れでけっこう、一曲だけのためだ、と覚悟して。
なんというか『ジャッキー・ブラウン』や『マルコムX』のサントラ盤を買った時のデジャヴだ。
ほとんど外れ!じゃないか。
どうにか我慢したけれど、もやもやは晴れず。
目当ては、安岡力也と梶芽衣子のデュエット「禁じられた一夜」だけだったが。
ほんとに他には再聴するほどのものなし。もったいない。
目当ての一曲もずいぶんと短くて。
ただの劇中挿入歌だもんな。
このシリーズの映像はDVD化されてはいるが、あえてもういちど観ようとは思わない。
他にも思い浮かぶ作品は数多ある。
それをふくめて、あの頃の「感動」が相対化されてしまうようで、再見は、積極的にしたくないということ。
観直して新たな発見があるとは、絶対に思えないのである。
鮮烈に残っているパーツについては、そのまま大事に抱いておくほうがいい。
『さそり』のスタイルは要するに、この映画が魅せたファッションの完成だったといえる。
梶芽衣子をはじめとして、松田優作ふうにかっこ良かった安岡力也、半端に青臭くて気障な頃の藤竜也……。
すべてあの時代とともに過ぎ去ってしまったのですよ。
『野良猫ロック』シリーズは四本あって、どれもいかがわしいタイトルだが、最も品格に欠け最も内容とかけ離れている『セックスハンター』が、最高の作品なのである。
基地の街ニッポンというマージナルなテーマに、B級プログラム・ピクチャーという枠内で、大胆に挑戦してみせた。
まあ、議論はともかく、このあたりの事柄は、京一会館のオールナイト特集に通ったあの季節に特権化して封じこめておいたほうがいい。個人的には。
これは、B級やくざ映画のテーマ曲集成といったところ。
若山富三郎の「極道行進曲」、菅原文太の「与太者ブルース」「関東テキヤ一家」、梅宮辰夫の「不良番長シャロック」などを収録。
やくざ演歌なら、鶴田浩二・高倉健・藤純子の御三家になるのがふつうだが、並べてみれば一目瞭然。
B級のほうに、はるかに色濃く時代の不逞の気分、じゅくじゅくどろどろとした怨念が詰まっている。
こちらのほうは、購入せず。
コンテンツを眺めては、こうして見るとずいぶんいろいろあったんだなと、下らない感慨にふけるにとどめる。
すると、気づいた。
何かないぞ。何かが欠けている――と。
で、『野良猫ロック』CDの姉妹篇である『無頼・殺バラせ 1968-1971 日活ニューアクションの世界』の収録作品を調べてみた。だが。ここにもない。ないものとは何か。
渡哲也の歌う「無頼・黒匕首のテーマ」だ。
『無頼』のテーマはインストルメンタル・ヴァージョンで入っているのだけれど、肝心の歌がない。
いちど発売禁止を喰らったまま、門外不出になってしまっているらしい。
先日、ラジオで「発禁・放送禁止」になった歌ばかり集めた番組がオンエアされたのだという。
それは快挙だったと思う。守屋浩の「練監ブルース」や克美しげるの曲(事件後初の放送とのこと)から頭脳警察の「銃をとれ」、渡哲也では「関東流れ唄」も入っていたけれど、「無頼・黒匕首のテーマ」はなし。この集成によってもまだリストに載らなかったということだ。
ここまでくると、あの唄がじっさいの価値以上に忍ばれてくるから不思議。
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-10-25
それはそれとして。
精神的崩壊の地すべりがずんずんと進行している。こういうものは加速がつくのだろうか。