2008.01.01 月並みに、年頭の挨拶
昨年は、2007年問題のあおりで、悔恨一色であったような。
年間を通して。
最後まで一貫して、というか。各種アンケート類はもちろん、とうとう年賀状までパスするていたらくで。
新聞を見て、あの胸糞悪い「ダンカイ」の漢字二文字を目にしなかった日は一日たりともなく。
だからといって、流行語大賞ものでもないんだろうし。いまさら。
八つ当たりはさておき、さまざまにやりっぱなしのまま放置している仕事が異様に溜まっていることに気づく。
この辺で一区切りつけておかねば、困ったことになりかねん。
緊急を要する懸案のものも、そうでないものも含めて。
今年はそれらを片づけてしまわねば。いや、本気で片づけてしまおう。
本年こそはの、年頭のあいさつそのままの日誌になったな、これは。
などということとはまったく関係なく。
もちろん仕事の火急の必要でもなく。
ジュリエット・ルイスさまの画像をゴーグルっていたら。
まあ、昔のファンであることなら、どこかにカミングアウトしていたはずだが。
『トゥルー・ブルース』を途中までしか観ていなかったことを愕然と思い出し。
Yahoo か Gayo だったかも憶えてないので、もういいかっと。
まだブラピが脇役で出ていたテレビ用作品だった。
次作が『ケープ・フィアー』。
スコセッシによる『恐怖の岬』リメイクだったが、オリジナルを上回ってるのはJLさまだけだった(オリジナルの子役を独自にふくらませたので当然か)という困った作品。
デニーロのヘンタイにイワされかけるシーンは You-tube で見つかった。感じ悪いな。
その次が、ディカプリオ、デップとの『ギルバート・グレイブ』。
その次が、『カリフォルニア 狂気の銃弾』。
まったくの凡作なれど、個人的にはいちばん好みだ。ブラピがヘンタイ殺人鬼の役に挑む(『セヴン』でケビン・スペイシー as ジョン・ドゥに喰われちまうより前)。
その犠牲にされる可憐さ、というのか。
その次が、例の『ナチュラル・ボーン・キラー』。
監督のクソへの鬱憤はむかし『サイコドラマ・サイコパシー』の連載で書いてしまったから、繰り返しはナシで。
その次が、『ストレンジ・デイズ』。
キャメロン映画(失礼、製作・原案・脚本のみでした)としては、引っくり返るほどニューロティックなんだが。
これが最高の当たり役だと、客観的にはいえるような。なにせパンクロッカー。
このへんまでは、すべて自然と追っかけが成立していて。
頂点だったのですかね。
その後の作品は。
たしかゲーリー・オールドマンの『蜘蛛女』しか観ていない。
いや、この作品だったかどうかも記憶はあやふやで。
JLさまは、かなり悲惨な現われ方をしていたと。
ああ。と嘆息して、なるべく忘れるように努めたのかも。
もちろん仕事の火急の必要でもなく。
ジュリエット・ルイスさまの画像をゴーグルっていたら。
まあ、昔のファンであることなら、どこかにカミングアウトしていたはずだが。
『トゥルー・ブルース』を途中までしか観ていなかったことを愕然と思い出し。
Yahoo か Gayo だったかも憶えてないので、もういいかっと。
まだブラピが脇役で出ていたテレビ用作品だった。
次作が『ケープ・フィアー』。
スコセッシによる『恐怖の岬』リメイクだったが、オリジナルを上回ってるのはJLさまだけだった(オリジナルの子役を独自にふくらませたので当然か)という困った作品。
デニーロのヘンタイにイワされかけるシーンは You-tube で見つかった。感じ悪いな。
その次が、ディカプリオ、デップとの『ギルバート・グレイブ』。
その次が、『カリフォルニア 狂気の銃弾』。
まったくの凡作なれど、個人的にはいちばん好みだ。ブラピがヘンタイ殺人鬼の役に挑む(『セヴン』でケビン・スペイシー as ジョン・ドゥに喰われちまうより前)。
その犠牲にされる可憐さ、というのか。
その次が、例の『ナチュラル・ボーン・キラー』。
監督のクソへの鬱憤はむかし『サイコドラマ・サイコパシー』の連載で書いてしまったから、繰り返しはナシで。
その次が、『ストレンジ・デイズ』。
キャメロン映画(失礼、製作・原案・脚本のみでした)としては、引っくり返るほどニューロティックなんだが。
これが最高の当たり役だと、客観的にはいえるような。なにせパンクロッカー。
このへんまでは、すべて自然と追っかけが成立していて。
頂点だったのですかね。
その後の作品は。
たしかゲーリー・オールドマンの『蜘蛛女』しか観ていない。
いや、この作品だったかどうかも記憶はあやふやで。
JLさまは、かなり悲惨な現われ方をしていたと。
ああ。と嘆息して、なるべく忘れるように努めたのかも。