30年遅れの映画日誌
1984年8月28日火曜 曇り
候孝賢 他『坊やの人形』
下北沢 試写
三話オムニバス 原作は『さよなら・再見』のベストセラー作家黄春明ホワンチュンミン
監督は、候孝賢ホウシャオシェン、曽壮祥ゾンジュアンシャン、萬仁ワンレン
候孝賢作品、日本初公開となるだけではなく、台湾映画そのものの、自主上映形式もふくめて、ほとんど日本初上陸である。
83年にピアフィルムフェスティバルで『恋は飛飛』が上映された。
それ以前に輸入されている台湾映画はカンフーものばかりだった。
韓国映画もそうだったが、アジア映画紹介の状況は似たようなお寒いものだった。ちょうどこの頃、80年代前半がニューウェイヴ台頭の同時多発がみられる。
まことにスリリングな映画的興奮がいたるところに輝いた。ニューウェイヴの流れを受けて、日本でも小規模かつアカデミックな雰囲気ながら、小ホール上映が定着していく。
高度成長社会以前、われわれが取り残してしまった「貧しい豊かさ」の風景が郷愁にみちて迫ってくる。
いい時代だったな。