ホームページ更新日記2002.06.21より
ライナー・W・ファスビンダーの『ベルリン・アレクサンダー広場』を観てきた。
といっても、全十四話、十五時間のフィルムのうち第一話「処罰が始まる」だけだ。
ファスビンダー没後二十年になるという。
この夏、全十四話が、快挙というのか、暴挙というのか、一般公開されるに先立っての試写があったのだ。
この大作を観るのに二日がかりになる。
わたしは果たしてこれを観に行くのだろうか。
前に大島渚の『アジアの曙』を観たことがあるが、あのときは、十時間か十二時間くらいで、一日で済んだ。
あれよりもきつそうだ。
『ベルリン・アレクサンダー広場』第一話は、懐かしさにみちた映像世界だった。
ああ、やはりファスビンダーはここにいる。彼にしかできない訴えを、彼にしかできない愚かさで叫びつづけている。
もう死んでしまったから変節することもない。
物語は、妻を殴り殺したフランツ・ビーバーコップ青年が刑務所から出てくるところから始まる。救いようのないこの男は、街で娼婦を買うが不能に終わり、妻の妹を訪ね殴りつけレイプして凱歌をあげる。
まさしくこいつはファスビンダー自身の自画像そのものではないか。
あと十三話にわたって、えんえんとこのくそったれ男が魔都ベルリン彷徨を狂いまわるさまが描かれるのだと、いやおうなく了解させられる。
その意味では観なくてもわかる?
たぶんこれは、自ら主演もした『自由の代償』や、自らの私生活まで露悪的にさらした『秋のドイツ』などより以上に、ファスビンダーが己れをピュアに投影した作品なのだろう。
愛の過剰、愛の不能。
どちらでも結局おなじことなのだが、倦まずに彼はその歌を歌いつづけた。
自殺するかわりに映画を撮りつづけ、そのさなかに三十七歳で逝った男。
彼の生を夭折というには、あまりに多くの作品が残っている。
その代表作とみなせるだろう『ベルリン・アレクサンダー広場』が、この夏、公開される。