30年遅れの映画日誌。二年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。
1980年2月24日日曜
フランシス・コッポラ『地獄の黙示録』
有楽町 有楽座 11時50分の回
壮大きわまりないアホ大作。「映画は戦争だ」を逆転して「戦争は映画だ」の時代の先駆けとなった。
コッポラにはまだ反省があったが、そのうち反省も抜け落ちスペクタクルだけが前面に出る。そして……戦争も映画も区別を喪ったアメリカ型グローバリゼーションが常態となり、「9.11」をむかえるのだ。
「戦争=映画」という壮大な愚挙を空疎としりぞけられない点がまことに辛かった。それどころか、涙が流れてならなかった。
つまりわれわれがアメリカの戦争と無縁ではありえないアジア人であることを、画面からいやおうなく知らされるからだ。ドアーズの「ジ・エンド」やワグ
ナーの「ワルキューレ騎行」をBGMにした、戦闘ヘリによる超低空爆撃と銃撃。羽虫のようになぎ倒されるヴェトナム農民たちに、たしかに、B29に追われ
る自分の背中を重ね合わせてしまった。空襲のときに生まれてもいないわたしのうちに、惨禍の記憶が眠っていると感じたのだった。
スクリーンと戦場との境目が消えていく予兆だったのか、この映画は。