カフカの作品でドッペルゲンガーのモティーフが明確に現われるのは、登場人物たちに、いってみれば正反対の人間を肉体的に白己の内部へとりこむことを可能にする独特の共生関係においてである。
一九一〇年に書かれ、二年後に『観察』に収められて公表されたテクスト『不幸であること』は、人格の二重化というモティーフを典型的な方法で加工している。というのは、そこに登場する幽霊は、一人称の語り手の役割を果たす孤独な若者の、まさに分身として現われるからだ。
「おまえの性分とは私の性分だ」と若者は語る。
「そして私が性分としておまえに親切に振る舞うなら、おまえも異なった振る舞いをしてはならない」。
アドルノによれば、カフカの、主人公たちは、神話の登場人物と同様、「敵の力を吸収すること」によって魔術的なかたちでの「救出」を実現しようとする。この意味においては短編『判決』も、分身譚の変種としての、人物たちの弁証法的結合によって規定されている。
分身の存在は、反復ではなく補完を意味する。一九一三年二月一一日のカフカの日記への書きこみが語っているように、友人という人格の内部に、ゲオルク・べンデマンと父親が同じように複写される。
「友人は、父と息子を結びつけるものであり、両者の最大の共通点である。
ゲオルクはひとりで窓辺に座り、狂喜しながらこの関係性に思いを馳せ、父が自身の内部にいると考え、逃避的な哀しい沈思黙考にいたるまでのあらゆることが平穏であると感じる。
いまや物語の展開が提示するのは、ふたりの共通点、すなわち友人のなかからどのようにして父親が立ち現われ、敵対者としてゲオルクと対時するかという過程だ(…)」。
古めかしい印象をもたらす極端なかたちで出現するロマン主義的なドッペルゲンガーのイメージは、もはや統一体をなしていない、主体の比喩となっている。ゲオルクと父親は、分裂して数多くの白己という形象になる。それらは、そのつど敵対している人物と溶け合い、つねに暫定的なものでしかない統一体をつくり出す。
主体の分裂というテーマがテクストにおいて有する優位性を考慮すると、そのモティーフが中心的な役割を果たす映画にカフカが関心を抱いていたことは理解しやすい。
一九一三年には、文学として書かれたドッペルゲンガーというテーマを扱った二本の映画が映画館にかけられた。
それはすなわち、すでに紹介した、一八九三年に発表されたパウル・リンダウの戯曲に基づく――リンダウ自身が脚本を担当した――マックス・マックの『分身』と、シャミッソーの『ぺーター・シユレミールの不思議な物語』(一八一三)に基づいてハンス・ハインツ・エーヴァースが脚本を書いたシュテラン・ライの『プラークの大学生』である。
ジークフリート・クラカウアーが、そこでのドッペルゲンガーというテーマがドイツ映画における〈強迫観念〉を創始したと評した二本の映画の特徴は、映画の演出という手段を利用して先行する文学に忠実であろうとした姿勢にある。それらが斬新だったのは、ふたりの有名作家が参加し、脚本に対する責任を負ったことであった。
『分身』で主演をつとめたバッサーマンは、一九一一年以来、ラインハルト=アンサンブルの誉れ高きメンバーであり、〈イフラントの指輪〉〔アウグスト・ヴィルヘルム・イフラントの遺言により、ドイツ語圏でもっとも重要な舞台芸術家が受け継ぐとされている指輪〕の保持者であった。
ヴェーゲナーもベルリンのドイツ劇場の一員で、芸術家として輝かしい名声を得ていた。
新聞や雑誌の学芸欄がはじめて映画をめぐって深い記述をおこない、封切よりも前に両方の映画について報じたのも当然であった。
カフカが少なくとも『分身』を観たことは確実なので、ここではまずその題材、ストーリー、演出について確認しておきたい。