ピーター・ローレ『狂恋』

07.23 ピーター・ローレ『狂恋』MAD LOVE 1935
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 Victer Serge のメキシコ時代を考察するために、是非とも再読しようと思っていたマルカム・ラウリー『火山の下』をぼちぼち読みはじめる。さいわい新訳が数年前に出ていた。
 ジョン・ヒューストンによる映画化『火山のもとで』も観ているんだが、初読の印象はごくごくはかない。
 メキシコを舞台にした、アル中の小説としか憶えておらんのだ。
 再読。一章は、二人の酔いどれがもっと度外れた酔いどれ(これが主人公)のウワサ話をするシーン。
 ベケットとの同時代性……。
 てなことよりも、メキシコの場末の映画館で『オルラックの手』が上映されている。
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 この〈引喩〉の周到さに、ガツンとやられた。ピーター・ローレ主演の『狂恋』である。
 そういうわけで、本はいったん閉じ、映画作品を捜すことにした。
 『The Hand of Orlac』1924年版の表現主義映画(ロベルト・ヴィーネ監督、コンラート・ファイト主演)のフルムーヴィーは、ユーチューブで発見。
 ローレ主演の1935年版も、某検索サイトからゲットした。
 これらを鑑賞してから『火山の下』にもどろうか。
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 『火山の下』には、どうも感動できなかった。
 メキシコという舞台いがいには――。火山小説としてなら迫真的だ。
 小説中で『狂恋』は、さんざんに批難されているのだけれど、主人公の朦朧とした未練よりも、ピーター・ローレのストーカー愛の一途さのほうが結晶度が高いのではないか。
 ラウリーの作品では、さまざまな脚注が、「中央アメリカに彷徨いこんだ西欧人の試練」という、たいして面白くもないパターンを少しも出ていないような気がする。
 ラストもどこか借り物めいている。
 コンラッド的テーマが見えかけてきたところ(西欧人はすべてスパイ!)で、カフカを剽窃したみたいな一行をもって閉じてしまう。
 ラウリーの主人公「領事」は、酔っぱらいとしても不徹底なのだ。
 どこまでも狂っているローレのゴーゴル博士におよばない。
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